先日読み終えた『おばあちゃんの台所修行 (阿部なを著)』で特に印象に残ったのが、【味噌を片手につみ草をした日】という項目。
つみ草というのは、野に生えている草をつんで食べることです。
今で言う山菜採りというところでしょう。
それは最初、家族五人をかかえた疎開中に、自然を味方にし、自然に助けられて暮らすしかないとの想いで始まりました。
さらには畑を耕し、必要なものをなんでも作ろうと張り切り、だんだん不足を補うためのものが、来る日も来る日も楽しい生活に変わったそうです。
「いろいろな自然の恵みを教えられたあの八年が、今の私を支えている」と書かれているように、一番最初の【暮らしの「根」をつくる】という項目にも、
「足りるを知る」なぞ死語となり、足りない、足りないと求め続けて、歯止めのない生活が、本当に人間生活を豊かにするのでしょうか……。不足のものを補おうとする心くばりのあるのが人間なのに、その心がなえてちぢこまって、物質に負けてしまいそう。
と書かれています。
山菜は今、不足を補うものから趣味の食べ物となりました。
でも自然のものは環境汚染など体への影響を心配して、なかなか手がつけられないようです。
栽培ものの山菜が、スーパーで買える時代です。
山菜を食べて季節感を味わいたいという人がいる、山菜を栽培して生計をたてている人もいる。
そう思うと悪いことではありません。
でも、なんだかかなしいですね。
山菜はやっぱり自然のものを食べたいと思うのが人としての感覚だと思うし、そうできないようにしているのも、やっぱり人なんですよね。
最後に阿部なをさんが48歳の時に開いた『北畔』というお店のHPに、こんな歌がありました。
みそ汁に はこべ浮かべて こと足りて
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